
2019.06.11
【※今回は長いのですぐ本題です。】
前回「直火燗の歴史&おいしく飲めるか試してみた」では直火燗の歴史について掘り下げました。鉄製の鍋に酒を入れ、直接火にかける燗つけがポピュラーだったのには少々驚きました。
直火燗は火力調節等いろいろ不便な点があり徐々に廃れていった、という所まで書いたと思います。
その不便な要素の1つが、「温める酒器」と「注ぐ酒器」がわかれていた点です。
燗鍋で温めた酒を片口や銚子に移し替えて、そこから杯に注ぐというのは完全に二度手間ですよね。洗い物も増えるからズボラな人間にとっては、めんどくさい以外の何物でもありません。
そんなこんなで発明されたのが「ちろり」です。現代の燗酒といったら、真っ先にちろりか「徳利」を思い浮かべる人が多いと思います。酒を入れたちろりや徳利をお湯に入れ、湯煎で燗をつける間接加熱の時代がきたのです。
江戸時代の大人向けの絵本に「黄表紙(きびょうし)」というものがありました。
絵本なので当然挿絵がありますが、それらは喜多川歌麿や葛飾北斎などの有名な浮世絵師が手掛けていました。そこに銚子やちろりが頻繁に登場しています。
黄表紙は下級武士や町人によく読まれた、世俗を面白おかしく、かつ写実的に描いた本です。黄表紙といえば恋川春町の作品が先駆けであり代表的ですが、この頃の挿絵では前回紹介した提子(ひさげ)や片口が描かれています。
時代が進み『南総里見八犬伝』の著者として有名な滝沢馬琴の『无筆節用似字尽(むひつせつようにたじづくし)』という黄表紙では、「舎」という漢字がちろりの形に似ていると紹介されています。
ちろりは金属製の筒状の容器に、持ち手・蓋・注ぎ口がついています。「温める酒器」と「注ぐ酒器」が合わさった道具です。ひとやねが持ち手、土が蓋と注ぎ口、口が容器部分といったイメージでしょうか。
このような書かれ方をされているということは、発刊時点ではそれなりにちろりの存在が知られていたと考えられます。1797年に書かれた黄表紙なので、この頃にはかなり普及していたのでしょう。
燗つけ・注ぐを兼ね備えたちろりはこうして普及していきますが、1つだけ弱点がありました。
それは「冷めやすい」という点です。
これは熱伝導が良い証なので、裏を返せば「温まりやすい」ということを表しています。
現在はアルミ製、高級な物では錫製のものが流通しているちろり。当時は銅製が主流でした。錫のちろりは熱伝導が良く丈夫だと聞いたことがある人も多いと思いますが、銅製ちろりも同じように熱伝導が良いのが特徴です。
当時はそれがかなり致命的に感じられたようで、温めた酒をちろりから銚子に移し替えていたようです。
結局かい…という感じもしますが、湯煎燗というものが普及したこと自体に意味があると思うんですよね。
現在まで続く燗酒の潮目が、ちろりの登場によって大きく変化した。
ここにちろりの功績を感じてなりません。
ちなみに僕も錫製のマイちろりを持っていますが、1合ぐらいなら冷めないうちにすぐ飲んでしまうので銚子に移し替えたりしません。さっさと燗つけて飲みたいのでめちゃくちゃ重宝しています。
ということで話の流れで察した人も沢山いると思いますが、燗つけ・注ぐを両立しながらも酒が冷めにくい酒器、ありますよね…?そう、燗徳利です。
江戸後期に「滑稽本(こっけいぼん)」という小説が庶民の間で流行りました。
会話文が主体で突拍子な言動や下世話ネタで笑いを取った本です。十返舎一九の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』が代表作でかなり有名かと思います。
そんな滑稽本の挿絵に燗徳利の姿があります。瀧亭鯉丈『花暦八笑人(はなごよみはっしょうじん)』四編追加上之巻(1834年)では、袴に乗せた燗徳利らしき器が見られ、五編上之巻(1849年)には屋形船で燗徳利を使って湯煎燗をしている様子が描かれています。
大衆文化である黄表紙にちろりが描かれていたように、燗徳利が滑稽本に描かれていることは、当時の市民文化にある程度この酒器が根付いていた証左と言えるのではないでしょうか。
そもそも徳利という陶器は、中世後期頃からあったと言われています。当時の様々な文献に「トクリ」という名前で登場し、壺に細長の注ぎ口がついたものを指します。
現代に住む我々にとって、徳利と聞いたら一般的に1合あるいは2合程度入る燗徳利を想像します。しかし酢や醤油を入れていた時代もあったり、神酒徳利や酒徳利、通い徳利など色々な用途・大きさの徳利が存在していました。通い徳利については、モモコのこらむ「ラベルで楽しむ日本酒!酒質とデザイン」で取り上げていますのでご参照ください。
神酒徳利は神棚がある家庭には普通に置かれているもので、対にして左右に置く徳利です。僕の家にあるやつは白くて蓋がついていますが、検索してみると彩色が施されたものなど様々あるようです。
一番の特徴が同じ色形のものを神棚の左右に置く事なので、同じような格好をした人や物の例えとして「御神酒徳利」という言葉を使うこともあるらしいです。
酒徳利は胴が膨らんだ壺のような形が通常で、そのほかに円筒状の貧乏徳利や底が平たい船徳利などの特殊な形状もありました。5合から2升入りの大型の物が家庭では多く使われていたようです。
喜田川守貞の『守貞漫稿(もりさだまんこう、1853年)』によると、燗徳利は江戸で広く普及したものの、正式な場では銚子を使い、略式の場では燗徳利で燗つけたものをそのまま出すなど、TPOに合わせて提供方法が異なっていたようです。
逆に京都・大阪ではどんな場所、場面でも燗徳利を使用することは稀で、従来の銚子が使用されていたそう。湯煎燗が根付いた江戸と、旧来の直火燗が生き残った上方。現代でもそうですが燗酒1つとっても東西で文化にここまで違いが出るのは面白いなと思います。
『守貞漫稿』では燗徳利の利便性がかなり熱弁されていて、
口が大きく大徳利から移し替えやすい、銅鉄器を用いないため美味しい(これはたぶん臭い等の問題)、基本入れ替えをしないため冷めにくいなどの利点が挙げられています。
正式な場面では銚子を使用していたと書きましたが、宴が始まりしばらく経つと燗徳利が使用されていたようで、大名も普段使いは燗徳利を用いていました。京阪でも近い将来燗徳利が普及することが予見されています。
実際に現代に至るまで、東西の日本酒シーンには必ずと言っていいほど燗徳利の姿がありますし、喜田川守貞は先見の明があったと言えるでしょう。
湯煎燗が普及した当時、酒はもっぱら燗酒で飲まれていたようです。
かの有名な宣教師ルイス・フロイスも『日本覚書』に「ヨーロッパではワインを冷やして飲むが、日本人は酒をほぼ一年中温めている」と書き残しています。
現代は冷酒人口が多く、それを踏まえた上で氷温貯蔵など冷酒を美味しく飲むための技術・研究が進んでいます。ちろり・徳利は燗酒が一年中飲まれていた時代だからこそ、おいしく楽しむために開発されたのではないでしょうか。
お隣の中国では明の時代に袁枚という人が、『隋園食單(ずいえんしょくたん)』という食事の教科書的な本を書いています。
その茶酒の部に以下のような記述が残されています。
“燉法不及則涼、太過則老、近火則味變、須隔水燉、而謹塞其出氣處才佳。
”
簡単に訳すと、
“「燗はつけ方が甘いと冷たく、過ぎると老ねてしまう。直火燗は味が変わる。よって水を隔てて湯煎燗にすべきであり、気が抜けないように容器は塞げば良い」
”
という内容です。
同じ文化圏ではあるものの、独自に発展してきた日本と中国の飲酒文化が、最終的に「湯煎燗がやっぱりうまいよね」にたどり着いたのは大変興味深く感じます。そしてうまい湯煎燗の仕方まで同じという点が、人間の本能的な要素に思えてきます。
試飲会などに立っていると
「お燗ってどうやればいいですか?」
と聞かれることが多々あります。
話を聞くとやはり手間がかかる印象が強いらしく、レンジで済ませてしまう人がとても多いようです。僕もめんどくさがりなので気持ちわかります。
そんな僕がいつもやっている方法は電気ケトルでの湯煎燗。
ケトルはスイッチを押せば簡単にお湯を沸かせるので、温まったらちろりや燗徳利を入れるだけ。簡単でしょ?
1つだけ注意点をあげると、沸かし終わったばかりのケトルの底にちろりの底がくっつかないようにしてください。
ケトルの底はかなり熱くなっているので、そのタイミングでくっついてしまうと、せっかくの湯煎燗なのに底だけ局部的に熱せられてしまいます。
今回は弊蔵の「生酛純米酒 菊の司 亀の尾仕込」をぬる燗で楽しみました。菊の司の酒の中ではダントツで燗上がりする商品です。
あ、「燗上がり」というのは燗すると美味しくなることを指します。
これから暑くなってくるとどうしても冷たい物を飲み食いしたくなりますが、そんな時でも燗酒はおいしく楽しめます。今回飲んだ生酛は酸味が特徴的で、夏場のお料理ともよく合います。ただ焼いただけの肉なんかにも合いそうです。
昔の人が一年中燗酒を飲んでいた通り、暑いから燗酒を飲んではいけないなんてことはありません。
この時期だからこそ、燗酒のおいしさを再発見してみませんか??