2020.09.27
こんにちは!風香です。
季節は秋、食べ物やお酒がおいしい季節となりました。
秋といえば、皆さんご存知お月見ですよね。お団子を飾ったり、家族で月を眺めたり…そして、大人たちはお酒を飲んだり。月は毎日昇るのに、なんで秋に限って大々的な行事があるんでしょうか?
今回の風香のコラムはそんな秋の風物詩「月見酒」にまつわるお話です。
読んで字のごとく月を眺める行事です。
それだけではつまらないので、もうちょっと詳しく見てみましょう。
秋のお月見、とりわけ9月の月見を「中秋の名月」とか言ったりしますよね。
中秋は旧暦8月15日のこと。秋(旧暦7,8,9月)の真ん中だから中秋。この日の満月を中秋の名月と呼んだわけです。
「十五夜お月様」のほうがなじみのある方もいるかもしれません。十五夜は旧暦の毎月15日の夜を指す言葉ですが、特に旧暦8月15日のことを指す場合も多く、観月の好時節とされてきました。
またこの季節の月を指す言葉はたくさんあり、中秋の名月の前夜の月を指す「待宵」、中秋の名月の次の日の月を指す「十六夜」、翌月の旧暦9月13日の月を指す「十三夜」などのなど…この季節の月がいかに重要であったかが垣間見えますね。
私が幼少期のころから眺め倒していた「宙ノ名前」という本にはこのほかにも30ページ近くも月の名前とその写真が載っていますので、気になった方はぜひ読んでみてください。日本語の形容の幅の広さにびっくりしますよ。
では、なぜ「月見」に「酒」が便乗したのでしょうか?
月見酒の起源は平安時代、貴族たちの間で行われた月を眺めながらお酒を飲み、舟遊びや和歌を詠む「観月の宴」にあるといわれています。この時愛でていた月は空に浮かぶものではなく、盃や湖面に映った月のほうであったとか。
その文化がだんだんと庶民に浸透してきた江戸のころ。収穫を目前に、月の神に秋の収穫を喜び感謝するため稲穂に見立てたススキ、月に見立てた団子や里芋、そしてお酒を捧げ、いただいたのです。
似たような話を以前「神様がもたらす神秘?特別なお酒「御神酒」のはなし」でも書きましたね。収穫の祝いだけではなく、神様と同じものを口にして御利益をいただく験担ぎの意味合いも強い行事なんですね。
なぜ秋の月はこんなにも人々を魅了するのでしょうか?それはもちろん、秋の月がとびきり綺麗だからにほかなりません。
秋に綺麗な月が見える最大のポイントは「雨」と「湿度」にあります。
大体お盆明けぐらいになると台風などの影響で定期的に雨が降ります。そうすると空気中の塵などの微小なごみが地面に落ちて空気が非常にクリアに!
また秋は乾燥の季節。空気中の水分量が減り湿度が下がれば、光を屈折させる水が少なくなるということですので、月の光がぼやけることなく目で捉えることができるのです!
今回の蛇足コーナーは月の神様にまつわるお話です。
日本で月に神様を見出す話は、古くは古事記や日本書紀に記される天を統べる月の神・月詠尊(ツクヨミノミコト)までさかのぼります。ゲームとかでよく出てくるので知ってる方も多いのではないでしょうか。
ある日、月詠の尊は同じく天を統べる太陽の神・天照大神(アマテラスオオミカミ)から食の神のところへお使いに行くように言われます。しかし、月詠尊は食の神の振る舞いを無礼であるとし切り殺してしまいました。
これをキッカケに月詠尊と天照大神は大喧嘩。二柱の神は昼夜を分担し、二柱が同時に空に昇ることはなくなったといいます。
この手の神話は世界各地に存在し、例えばペルーの神話では夫婦である太陽と月は毎日一緒に地上を照らしていましたが、価値観の違いから大喧嘩をして妻である月が夜に追放されてしまいます。
ギリシャ神話では兄である太陽神アポロンが妹の月女神アルテミスの恋路を邪魔し、巻き込まれた狩人オリオンが殺されてしまうなんてエピソードも。
同じ空を照らす光なのに同時に昇ることがないからこそ、昼夜にわかれて現れる太陽と月は昔から人々に普遍的な神性を見せつけているのかもしれません。
さて、中秋の名月と月見酒のおはなし、いかがでしたか?
なんとなく神秘的な気持ちになる秋の月を愛でながら、盛岡の秋の味に舌鼓…なんてのもオツなんじゃないでしょうか。ぜひ菊の司の秋「菊の司 季楽 純米原酒 茜」をお供に、秋の夜長を楽しんでください。
盛岡の食の旬との相性もばっちりですよ!
それでは、今回はこのあたりで。次回もまたよしなに。