2020.03.20
どーも!ぼんちゃんです!
酒造りももう少しでひと段落する3月後半。この時期になると春の山菜を八百屋やスーパーで見かけるようになり…。天ぷら、酢味噌和えなどを肴に飲む酒がたまらねえ、止まらねえ、そんな季節です。
我が家ではお彼岸の日にフキノトウを大量収穫して食べるのが、何気に恒例行事となっています。天ぷらをあてに飲む燗酒が今から待ち遠しい。
ところでお彼岸って仏教の行事ですよね。気にしたこともなかったのですが、よくよく考えてみると、宗教行事の日の飲酒を楽しみにできるって何だか特別なことのように思えてきました。
仏教と酒。一見「水と油」のような関係性にも思えます。
仏教に限らず宗教というのは飲酒を禁じている場合が多いですよね。造り酒屋の人間がこんな事を言っていいのかわかりませんが、酒を飲むなんて煩悩にまみれた行為ですから…。
僕なんか煩悩だらけなので「ぼんちゃん」というペンネームを使用しているくらいです()
仏教にも当然「飲酒戒」(おんしゅかい)というものがあって、飲酒を良しとはしていません。まああくまでも「戒め」でありルールを意味する「律」ではないので、仏門に励む自分を高めるための決まりみたいなものです。
ですが法事に出たりすると、会食時に和尚さんが酒をグビグビと飲んでいる、なんてシーンをよく目にします。初めてそういった場面に遭遇した小学生当時は、子供ながら「この人酒なんか飲んでもいいのかな」と思ったりもしました。
で、コラムを書くためにいろいろ勉強していたら、室町時代にはお寺で酒造りが行われていたこともわかりました。菩提?の正暦寺や興福寺の僧坊酒は、現在の酒造りの礎になっていると言っても過言ではありません。
日本の仏教において酒は禁じられる物どこか、密接な関係を持って今日まで扱われてきたのです。これにはどうやら日本特有の宗教の発展過程が関係ありそうです。
「日本人は多宗教」ってよく言いますよね?正月の初詣、8月のお盆、12月のクリスマス。この大きな行事は神道、仏教、キリスト教とそれぞれ別の宗教です。キリスト教・イスラム教・ユダヤ教のような一神教の信者が世界的には大多数派であり、日本人のような宗教との関わり方はやはり珍しいようです。
当コラムで扱うにはかなり難しい話題なので深掘りはしませんが、一神教の宗教同士での争いが絶えず起きているこの世界で、様々な宗教がお互いを認めつつ共存している日本の社会は素直にすばらしいと思います。一方で宗教に無関心であることも否めませんが…・
その根幹を支えるのはやはり神道でしょう。
神道は日本という国を語る上では欠かせないものですよね。日本神話上では天皇家が神様の末裔で、2月11日の「建国記念の日」は初代である神武天皇が即位した日を由来に定められています。
他国は明確な建国日(アメリカの独立記念日など)を基に定めている中、「不確かな神話を基に建国記念の日とするのはどうなのか」という議論はあるようです。まあそれは一旦置いておいて、神道が日本の成立に深く関わっていることは理解してもらえるはずです。
また神道の土台には、様々なものに神様が宿っているという「八百万の神」や、「アニミズム(自然崇拝)」の考え方があります。ジブリの「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」がわかりやすいですよね。もののけ姫では精霊信仰が題材にされていますし、千と千尋の神隠しでは八百万の神々がユニークなタッチで描かれています。
一神教とは異なり様々な物事が信仰の対象になるので、神道そのものが多様性溢れる宗教と言えるでしょう。
そういった性質を持った神道と酒は説明不要、密接な関係性を持っていますよね。きくつかこらむに何度も登場している「口かみの酒」も、やはり神事において造られるものです。カビの酒の起源である庭酒、大嘗祭で造られる白貴・黒貴なんかもそれにあたるでしょう。
一神教のキリスト教での酒はもっぱら赤ワイン。白ワインではないのは、赤ワインをキリストの血と見なしているからです。神道では色々な儀式で色々な種類の酒が造られていますから、その点においてもこの宗教の多様性を示していると言えます。
神道の後に日本で広まった宗教が仏教です。
神道が日本土着の宗教であるのに対し、こちらは外からやってきた宗教です。仏教公伝は538年説(『日本書紀』が根拠)と552年説(『上宮聖徳法王帝説』が根拠)の2つがあり、受験勉強で頑張って覚えたのを懐かしく感じる人も少なくないですよね?
仏教が日本にやってきた当時、すんなりと日本の文化に馴染んでいった…なんてうまい話があるわけもなく。仏教を受容する勢力(崇仏派)とその反対勢力(廃仏派)の間で激しい論争となりました。
武力衝突にまで発展したこの争いは崇仏派の勝利でおさまり、その後の仏教の発展へと続いていきますが、そんな争いを経た末に外来の宗教が日本で受容された要因とは…?
要素は様々あるものの、その懐の深さというのは大きく関係していたと思います。
仏教には大きく「上座部仏教」(じょうざぶぶっきょう)と「大乗仏教」(だいじょうぶっきょう)の2種類があり、日本では後者が広まっていきました。大乗仏教の大きな特徴は「他者を救済するために信仰する」という、極めて利他的な考えにあります。
自分の願いを叶えたい、自分を救ってほしいというのが宗教を信仰する上できっかけになることが多いと思いますが、大乗仏教の場合は「良い世の中にしていきたい」が信仰の目的となるわけです。疫病が流行ったら大仏を建立したり、各地に寺を建てたりというのは、こういう考えから来ているのだろうと思います。
神道も基本的には家族や地域、もっと広くすれば国のようなコミュニティの安寧を祈願するもので、ある意味利他的な宗教です。両者のイデオロギーにはこうした親和性が垣間見え、共存共栄は自然の流れと言えるでしょう。
ここで冒頭の話題に戻ります。仏教と酒の関係性。
少なくともこの宗教が伝来してきた当時、酒との関わりは皆無だったと言えるでしょう。にも関わらず寺院で酒が造られるまでに至ったのは、共存に成功した神道の影響に他なりません。
先ほども書いた通り、基本的に酒は神事のために造られていました。平安時代ぐらいまでは朝廷や神社の下で造られていたものが主流となります。
ところが室町時代になると興福寺や正暦寺を代表するような僧坊酒が造られるようになり、酒が神社や年中行事などの儀式だけのものではなくなっていきます。
この大きな要因は平安時代に起きた「神仏習合」(しんぶつしゅうごう)にあります。神仏習合は参考文献の言葉を引用すると、「神祇信仰と仏教が複雑なかたちで結合し、独特な信仰の複合体を築いたもの」(『神仏習合』P.6、義江彰夫、岩波書店)を表します。
親和性が高かったとはいえ、異なる2つの宗教が1つとなり独自の宗教体系を築いていくわけです。これが仏教に酒が関わるきっかけとなります。
そもそも神仏習合はなぜ起きたのか。
伝承では、多度山というところにいた神様が長年の苦しみから脱したい、そのために仏教へ帰依したいと考えたところから始まります。その前後に現在の茨城県・鹿島大神や京都・賀茂大神など、全国の神様が苦しみを訴えるようになったとのこと。
そうした流れの中で、神社の附属寺院が建てられるようになります。それを「神宮寺」といい、神様が仏になろうと修行する様を表した神像を安置していました。
時代的には8世紀頃、聖武天皇が東大寺を始め、各地に寺院を建立していた時期などと重なります。仏教による統治をしよう、いわゆる「鎮護国家」の時代ですね。なのでこうした伝承も政策の1つと考えるのが妥当でしょう。
神仏習合が成熟すると、寺の中にも神社が建てられるようになります。そして寺院での酒造りも開始されてきます。
もともとは神様にお供えするものとして造られていたようで、それについては神仏習合の経過を考えれば自然なことに思えます。しかし今度は造った酒の販売が始まります。
酒を売る行為を「?酒」(こしゅ)といい、これも仏教では禁じられています。にも関わらずそれが許されたのはなぜなのか。
いろいろ説はありますが、酒の販売で得られた利益は寺院に寄付され、寺院運営に大きく貢献されていたからだと考えられています。私欲のためではなく、寺院を守るための善い行為ということですね。
神仏習合によって育まれた仏教と酒の関わりは、それぞれの発展につながる相互関係となっていきます。
そもそも寺院で造られていた酒は、境内の神社へのお供え用でした。ところが当時の僧侶たちは誘惑に勝てず。自分たちのお酒で連日連夜の大宴会を行います。
真言宗の開祖として有名な空海ですら、「病気の時は塩と酒を一緒に飲んで治療していいよ。」と寛大な措置をしていました。ただ「どうしても飲みたいときは容器を入れ替えてお茶と一緒にこっそり飲んでいいよ」とも言っているので、表向きではあまりよろしくない行いだったのかもしれませんが…。
また他の寺院と酒の売買や譲り渡しまで行われていたといいます。興福寺の僧坊酒はその代表格でしょう。バックナンバーにも書いていますが、冬に造られた酒を指定して受け渡しが行われているあたり、味わいも吟味されていたことがわかります。
あの手この手で何とか酒との関わりを正当化しようとしているようにも見えますが、それを可能にしている根幹にはやはり、神道・仏教の多様性を認める度量があると思います。
もし日本で普及した宗教が違う性質を持っていたら、日本酒や飲酒の文化は異なる発展を遂げていたかもしれない。そのように考えると、今まで何となく触れていたそれぞれの宗教が特別なものに感じてきます。
これから日本酒がどのように発展していくかわかりませんが、僕たちもいろんな酒の良さを認めながら、更なる酒の発展に貢献していければ嬉しいです。