
2019.09.3
どーも!ぼんちゃんです!
先日、競馬ファンの僕にとって悲しい報せが…。
普段競馬なんて見ないよ!という方でも知っているであろう、名馬ディープインパクトが天国に旅たちました。ディープの活躍で興味を持って競馬ファンになった人もたくさんいると思います。
現役時代の走り、引退後の種牡馬実績ともにとてつもない衝撃を残したディープインパクト。フィールドは違えど、僕も日本酒を知らない人でも知っている、後世に語り継がれるような酒を造りたいとしみじみ感じた次第です。月並みすぎる感想でした。
ところで日本酒業界、「後世に語り継がれる」どころか江戸時代から変わらず絶大な人気を誇って飲み続けられている酒がありますよね。例えば剣菱さんはその代表格でしょう。
様々な環境の変化がありながらも受け継がれ、受け継がれ…、大昔の人が飲んだ同じ銘柄の酒を、何百年後の自分も飲めるというのはなかなか乙だなあと思います。
前回は日本酒の特定名称制度について取り上げましたが、今回は遡って級別制度の話をしていきます。級別制度→特定名称制度の流れは、日本酒業界に大きな変化をもたらしました。
前回のコラムを見てから読んだ方が僕の主張がクリアに理解できると思いますので、ぜひ下記リンクをご覧ください。
ちなみに今回の内容はかなりニッチな内容となっており酒マニア向けの話ですが、酒類業界への関心の有無に関わらず、最後までお読みいただけると幸いです。
級別制度は1943年~1992年まで存在した、酒税法上における日本酒の体系的な分類表示制度です。
国税庁が酒を「監査」し、品質に応じて階級を分類していきます。分類された酒はその階級によって品質が保証され、現在の特定名称で言えば「大吟醸は良い酒」のように、「特級酒は良い酒」など消費者にとって1つの購入基準になっていました。
そして級別制度の肝は税率です。上級の酒になればなるほど税率が高く、下級になればなるほど低いのがこの制度の大きな特徴です。そのため必然的に税率が高い特級酒は値段も高く、逆に二級酒は安いという価格構造が生まれました。
今ではまったく想像もつかない話ですが、明治政府の国税の税収は「酒類税」(現在の酒税)が1位でした。その割合もすごいのですがどれくらいと予想しますか?
なんと全体の35%も占めていたのです。割合だけで言えば現在所得税が30%程度なのでそれ以上の税収ということになります。アルコール離れが叫ばれる昨今からは考えられないですよね。
それほどの財源である酒蔵は「免許制度」によって国から守られ、日清戦争・日露戦争では、戦費の多くを酒類税で賄っていたと言います。
ところが1937年の満州事変から太平洋戦争へ日本が突き進むにつれて、優遇されていた酒蔵を取り巻く環境も変わっていきます。
日本酒の原材料はご存知の通り米。大事な食糧である米を確保するために、日本酒は生産量の抑制を強いられます。統制価格で値段に縛りが生まれ、需給バランスが崩れたことにより品質も粗悪に。
アルコールがとんでもないほど希釈され、「もしかして金魚泳げるンじゃね?」と揶揄されるほどダメな「金魚酒」が横行しました。
1940年には、それまで酒を醸造した段階で課税される「造石税」(ぞうこくぜい)のみだったところに、蔵から酒を出荷した段階で課税される「庫出税」(くらだしぜい)が加わりました。
それから現在に至るまでずっと庫出税が採用されています。
その庫出税のシステムとして1943年に採用されたのが、そう「級別差等課税制度」です。金魚酒が横行していた時代にこの制度が機能していたとは思えませんが、そもそも庫出税は時代背景から言って戦費調達を目的に制定されたものと考えられています。
つまり級別制度の発端は戦争だったのです。
日本酒の値段はしばらく統制価格の時代が続きました。物資・食料も乏しい戦後復興の最中なので、嗜好品である酒の生産量が抑制されるのはやむなしと言ったところでしょうか。
しかもその時代に隆盛を極めていたのが、かの悪名高い「三倍増醸酒」(以後三増酒)です。
米、米麹が原料の「ものほん酒」のもろみに、同程度のアルコール度数になるよう醸造アルコールを薄め、そこに糖類、酸味料などの調味液を加えた副原料を加えたものが三増酒です。元のもろみから量が3倍になるので「三倍増醸酒」ですね。
当時は約50万石程度(現在の1/4)しか酒が生産できず蔵元・酒屋が先細りする一方、国は大事な財源である酒をどうにかしたいというパラドックスの中で生まれた、酒造業界きっての負の遺産でした。
そんな中1960年に統制価格が廃止され、基準価格が制定されました。それにより級別制度下の日本酒の値段は、先述したように税率が高い特級酒は値段が高く、低い二級酒は値段も安いという価格構造になりました。
当時の酒造業界を生きていないので想像の域ですが、おそらくその頃には酒の品質にいくらか目を向けられる状況になっていたのではないかと思います。
しかし4年後、東京オリンピックも開催された高度経済成長期真っただ中の1964年に基準価格も廃止され自由価格になると、情勢は一気に変わります。
品質本位の酒造りに移行しつつあった日本酒市場において、今では当たり前となっている純米酒や吟醸酒が台頭し始めます。それらの酒が級別制度の問題点を浮き彫りにしました。
階級は国税庁の監査を経て決められると先述しましたが、当時、監査を受けない酒は一律で二級酒の扱いにされていました。いわゆる「無鑑査」です。
二級酒は税率が低い、という点とこのことが結びついた時どのような事態になると思いますか?
察しのいい方はすぐにわかったと思います。良い酒を監査に出さず二級酒として売るケースが増えたのです。しかもそれらの酒の売値が上級酒より高く、級別制度下における市場バランスが崩壊しました。
宮城県の一ノ蔵さんが現在も出荷している「無鑑査本醸造」はその代名詞ともいえる商品で、無意味な級別制度に一石を投じたお酒として広く知られています。
無意味、と言いましたが、級別制度自体は半世紀近く続いたわけで、消費者の1つの購入基準としては機能し続けたのではないかと思います。しかし実態は欠陥だらけでした。
例えばすべての酒が毎回監査されるわけではないので、最初に一級酒として認定されたのをいいことに、一級酒の認証シールが貼られた同じ銘柄の粗悪な酒が市場に出回るなんていうこともあったらしいです。
高い税率を実質負担している消費者を馬鹿にしていますよね。正直なところ歴史を振り返ってみて「蔵元は級別制度の被害者」的な論調には疑問ですが、消費者無視の欠陥だらけの悪制だったのは確かだと思います。
こうして級別制度が形骸化しズルズルと続いたあと、日本酒業界に特定名称制度が誕生しました。この移り変わりは品質重視の酒造りがより重視されるようになる過渡期であったと思います。
級別制度下では、各蔵が級別を価格と品質の基準にして商品を販売していました。消費者もその価値観を重視し酒を選びます。
ところが特定名称になると従来のある意味で画一的な基準がなくなります。純米酒や吟醸酒は品質基準ではなく、あくまでも酒の「正体」を示したものなので、おいしいものはおいしいけど、不味いものは不味いです。当たり前ですね。
つまり蔵元は機械的に価格を決定する術を失ったので、自社基準で消費者に価値提案をしなくてはならなくなりました。ところが現状はどうでしょう…。(あとで触れます)
消費者にとっては酒質に多様性が生まれたことにより、選ぶ基準が複雑化しました。それが当たり前の我々は、むしろ酒を楽しむ1つの素材になっているわけですが、酒に関する知識がない人にとっては煩雑に感じただろうなあと想像します。
こうした高品質重視の市場への変化は、税収における酒税の立ち位置の変化も大きく関係していると考えます。一家に1台は車がある時代で、自動車税とガソリン税の税収もあります。
酒税以外からもたくさんの税収が得られるようになり、依存度が下がったことによって品質に目が向けられるようになったのではないでしょうか。
ところが特定名称制度下の現在、税率の部分を除けば大して級別制度から進歩していないように感じるのは僕だけでしょうか?
純米酒<純米吟醸<純米大吟醸のように、大部分は特定名称ごとに不文律の価格基準が決められています。
どの特定名称にも当てはまらない「普通酒」のジャンルも、正直蔵によっては「てきとうな純米酒よりおいしいんじゃないの?」というレベルの酒を造っているのに、比較対象の純米酒より安いのは言うまでもありません。
もちろん原価の要因等が大きいので、ジャンルごとに価格の分布がまとまってしまうのは当たり前です。それを前提とした話です。
なんだか級別制度が崩壊した当時より、品質と価格にズレが生じている気がしてしまいます。
僕は何も「もともと1100円の純米酒を倍にして売るべきだ」という話をしているわけではありません。現在の需給バランスを考えれば適正価格と言える気がします。
これは前回のコラムから書き続けていることですが、現在の不文律の価格基準は日本酒のバリエーションを狭めていると思います。
本来「兵庫県産特A山田錦100%使用、精米歩合40%、袋吊り中採り純米大吟醸酒」が720mlで10000円で売られているように、「兵庫県産特A山田錦100%使用、精米歩合80%、袋吊り中採り純米酒」が従来の純米酒の価格の枠を超えた値段で売られていてもいいはずなんです。
無論おいしくなければ意味がないので、「兵庫県産特A山田錦をその精米歩合で使い、袋吊り中採りをする意味があるのか」を説明できる商品でなければなりません。酒は文字で売るわけではありませんからね。
仮にそこをクリアしている商品がリリースされたとしましょう。どれくらいの人が買うのかなあと考えてみると、まああまりいないだろうと想像できてしまうわけです。
原因は様々考えられますが今回のように歴史を振り返ってみると、基本的に売り手側発信の需要創造がなくて、受け身の商品展開が多いように思います。
僕たち蔵元がちゃんと価値提案さえできれば、前述した低精白の袋吊り中採り純米酒だって受け入れられると思います。
価格で縛られているからやらないではなく、出せばいいだけの話なんですよね。かつて級別制度を超えた自由な発想で商品を展開したように。
散々書いてきましたが、結局は蔵元のスタンスが問題点なのでしょう。正直自分でも書きながらごちゃごちゃわけわからなくなっていますが、最終的にそこにたどり着きました。
最後まで読んでいただいた方には、ぜひ日本酒に対する価値観を脳内で軽くまとめてもらいたいなあと思います。自分はこの業界に身を置いて1週間ごとに考え方が変化していくほど、日々新鮮な世界を見ています。
もしかしたら停滞気味だった日ごろの飲酒シーンに、新しさが生まれるかもしれません。
2017年入社。 「人生なんとかなるよ」と言い聞かせ、のらりくらり生きてる。
連載「教科書には載っていない、日本酒の歴史。」では、
誰もが聞いたことがある日本の歴史舞台の裏側、当時の日本酒エピソードをご紹介していきます。