2020.06.5
どーも!ぼんちゃんです!
季節は7月。菊の司酒造は新年度、つまり平成30酒造年度がスタートしました。平成最後の造りだなあ、ということは年号が変わる来年は1BYかあ…などと考える今日この頃ですが、蔵では秋から始まる造りに向けて着々と準備が進んでいます。
準備の中には当然酒造りで使用する道具の整備も含まれます。わずかな雑菌の存在や汚れも許さない酒造りですから、蔵人一同気合いを込めて手入れに励んでおります。
前回までのコラムでは、古代に造られていた酒について見ていきましたが、今回はそれを造るために使用されていた道具について調べてみました。
いきなり質問ですが、みなさんは「酒造りの道具と言えば?」と聞かれて何と答えますか?蔵見学に行ったことがある人なら何個か見当がつくかもしれませんが、そういった経験がない人はせいぜい醪のタンクを思い浮かべる程度ではないでしょうか。実際に現在の酒造りで使われる道具と、古代の酒造りで使われていた道具を工程ごとに見ていきましょう。
まずは精米。
時代が進むにつれて高精白の酒が多くなってきましたが、元々は糠が高品質な酒を造るにあたり大きな障害(製?や醪の発酵管理の面、出来上がった酒の香味色沢など)になることから、それを取り除くために行われていました。
現在の精米機は、飯米用の摩擦式精米機と高精白を目的とした酒造用の研削式精米機の2種類に分けられます。後者は金剛ロールと呼ばれるもので米の表面を直接的に削り落とします。
前者は圧力をかけ米と米をこすり合わせて米の表面を剥ぎ取りますが、杵と臼を用いた精米とおおよそ同じ理屈です。
以前のコラムで舂稲仕女(つきしねのしにょ)という人たちが白貴・黒貴に使う米を精米していたことを紹介しましたが、『延喜式』巻四〇「造酒司」には、「造酒雑器」として様々な道具類とその使用する数量が挙げられています。そこには「木臼 一腰/杵 二枚」と書かれていることから、当時は精米時に杵臼が使用されていたことを窺い知ることができます。
精白された米は「箕(み)」という道具でふるい、籾殻やごみと分けて精米が完了します。箕は20枚用意されていた記載があるので、単純に考えて精米の作業は2人で行って、ふるいの作業だけ20人という大人数でやっていたのでしょうか。米を搗く2人だけやたら重労働で可哀そうだなあなんて思っちゃいます。
しかし前回のコラムで書いたように、当時は濾さない酒が多かったので、米と籾殻・ゴミを分ける作業は、酒のクオリティを高める上でとても重要な作業だったと推測できます。時代は違えど日本人のこだわり・職人気質を感じさせます。
ちなみに我々が普段口にしている飯米の精米歩合は約92%ですが、酒米は大吟醸クラスになると40%まで磨きます。如何に贅沢な使い方をしているかわかりますよね。そして杵臼を使用した精米ではそういった高精白を実現できないわけですから、科学の進歩で日本酒の幅が広がっていることを実感させられます。
精白された米は、洗米・浸漬などの作業を挟み蒸されます。
古代ではどのように行っていたか、詳しい記載を見つけられませんでした。ただ米を蒸すには絶対必要な作業なので、全くやっていなかったわけではないと思います。「酒造雑器」に「水麻笥(みずおけ)」が20口用意されていた記載があるので、もしかしたらそこらへんを利用して洗米・浸漬を行っていた可能性も考えられます。
酒造りの工程はどれも大事な作業ですが、麹・醪の出来不出来に直結する最初の工程という意味で蒸米は最も大切かもしれません。
蒸すと米のデンプンは分子がほぐれます。これをα化と呼びます。洗米・浸漬が蒸米に絶対必要だと先述しましたが、これはα化にある程度の水分が求められるためです。α化によってデンプンは酵素作用を受けやすくなります。酵素作用がないとそもそも日本酒造りは成り立ちませんから、これは基本とも言える工程となります。
古代も現代も蒸米には「甑(こしき)」を使います。造り期間の最後の醪に使用する米を蒸し終えることを「甑倒し」と言いますが、日本酒ファンの方ならなじみ深い言葉なのではないでしょうか。
ここで興味深いのが、「酒造雑器」では甑ではなく「櫓(やぐら)」と書いて「こしき」と読ませている点です。元々甑というのは中国から伝来した土器で、土師器・須恵器の中にも甑が存在していました。8世紀頃までは土器の甑が普及していたと言われています。対して『延喜式』は、10世紀成立の書物なので、土器の甑が普及していた時代からは100年以上経っていることになります。とすると、当然その形態に変化が生じている可能性も十分考えられます。
「櫓」は皆さんもご存知かと思いますが、「火の見櫓」や盆踊りの中心に太鼓を叩くための場所として構える櫓のように、背の高い建造物を指します。他には武器庫や古い船の人力推進用具という意味合いも持つようです。
そういった漢字を「こしき」という意味で使っている理由として、これはあくまでも僕の想像ですが、ある程度大きな形をしていたのではないでしょうか。甑その物は深さがあって、実際に櫓のように組まれた足場を登らないと中を覗けないような。それで櫓と表現しているならば辻褄が合います。
今回は僕の想像も交えながら、道具の用途やその姿を見ていきました。こうやってみると、概ね現代と同じような工程でありながら、道具の違い一つで微妙な差異が生まれている点が非常に興味深く感じました。中世になるとまた違いが出てくるでしょうし、時代ごとに酒造りの工程を見ていくのも面白いでしょうね。
…と何やら〆の雰囲気に騙されている人もいるかもしれませんが、まだ蒸米の所までしか進んでおりません。次回以降続きをやっていきます。なにに使っていたのかよくわからない道具もあるので、そこも含めて掘り下げていければいいなと思います。
末筆ながら最後まで駄文お読みいただきありがとうございました。