2020.06.5
どーも、ぼんちゃんです!
冬のしぼりたての時期に市場に出回る代表例が活性にごり酒ですが、酵母が生きているという特性上、暑い時期は品質面もさることながら、ガスが溜まり破裂する危険性を伴うため各蔵出荷を止めてしまいます。あのシュワシュワ感を夏に楽しめないのも勿体ないなあと思って仕方がないですが、今日のコラムはにごり酒に似たあのドロドロした酒に注目していきます。
前回のコラムでは、『令集解』(りょうのしゅうげ)の内容から、当時の酒造りの組織について見てみました。今回は『延喜式』の内容からより細部まで見ていきたいと思います。
前にも書いたように『延喜式』は律令の施工細則であり、当時の酒造りのルールに関してより詳細な記述を確認することができます。
民部省式では新嘗会(しんじょうえ)における酒について詳しく書かれています。新嘗祭(しんじょうさい)という言葉を聞いたことがある方は多いと思いますが、これは古代から現代まで続いている年中行事です。収穫祭と言ってしまえばわかりやすいですが、11月23日に天皇が五穀(米・麦・粟・豆・黍などを指す)の新穀を天津神・国津神に勧め、自らも食しその収穫を感謝する祭です。
1873~1947年までは同日が祝日とされ、現代では11月23日が勤労感謝の日として祝日に定められています。その新嘗祭の最中に群臣が天皇の下に集まり宴会等を行ったのが新嘗会です。当時は端午の節句などの節目節目に節会(せちえ)と言われる宴会が行われていて、新嘗会もそのうちの1つとされています。
新嘗会に関する記載がなぜ注目されているかと言うと、この行事に向けて酒造りが行われていたからです。
主に「白貴(しろき)」「黒貴(くろき)」という2種類の酒が造られました。
白貴は灰を加えない酒、黒貴は久佐木灰と呼ばれる物を3升加えた酒です。
灰と聞くと何となく現代で酒造りをしている私たちの感覚では、炭素ろ過(おり引きで除去されなかった微量なおりや臭い・雑味を活性炭で吸着する技法)的な物なのかなあと思いますが、どうやらそれは違うようです。仕組みが気になったのでインターネットで論文検索をしてみたところ、1994年に発刊された『日本醸造協会誌』89巻の岩瀬平氏「『延喜式』新嘗会白黒二酒と易・陰陽五行説」という論文に詳細が書いてありました。
それによると灰は単に白貴を直接的に黒くするためのものであり、白貴は清酒ではなく粥状のどぶろくであったことが記されています。
日本に伝えられた最初の米は今のような白米ではなく、ジャポニカの赤米であったと言われており、岩瀬氏が行った赤米を使用した再現実験では、白貴のおりが落ちたあとの上澄みの清酒が赤褐色になったようです。我々が知っている清酒とは異なる姿ですよね。実際に白米と赤米のどちらが使われていたのかはわかりませんが。
ただここで注目したいのは米ではなく、先述したように白貴が清酒ではなく粥状のどぶろくであったことです。
どぶろくの名は2002年の行政構造改革の一環として「どぶろく特区」が指定されたことにより、一躍全国に広まりました。見た目は先程書いたような粥状のにごり酒ですが、日本酒のにごり酒とはちょっと違います。というのも日本酒のにごり酒は最低限のろ過を行っているので酒税法上清酒に該当するのですが、どぶろくはそれを行いません。逆にどぶろくにろ過を施したものは清酒扱いになってしまいます。白貴・黒貴の製法は現代まで伝承されていることから、これらの概念はほぼ変わっていないと考えられます。
当時造られていた酒は10種類近くあり、その中には醪を袋に入れてしぼる酒もありました。白貴・黒貴はろ過の工程を入れず、あえてどぶろく状に造られた物だったのでしょうか。
伝承されている白貴・黒貴の製法、実は古代の物をそっくりそのまま踏襲したものではない可能性があります。というのも戦乱等により長い間新嘗祭が行われない時期がありました。その過程で工程に微妙な変化が起きている可能性があります。
そもそも『延喜式』では、造られた酒を濾すかどうかが明記されていないため混乱を招くわけですが、ここで注目したいのが酒造道具に?(あしぎぬ)の篩(ふるい)が含まれている点。
?(あしぎぬ)というのは要するに絹織物と解釈していただければいいですが、それでできた篩(ふるい)となると、醪を濾すために使用する以外使い道がないように思います。ただの?なら米運びとかに使用された線も考えられますが、わざわざ篩(ふるい)と書かれている点がミソなのかなあと感じさせます。
『延喜式』によると、新嘗会の会場(斎場)に白貴・黒貴を仕込むための建物が建設されていたようです。
内容は酒殿一宇(=一棟)、臼殿一宇、麹室一宇。麹室は今と同じなので良いとして、酒殿には酒を醸すための甕が並べられていました。今でいう醗酵室的な物だと思います。あと臼殿は精米施設。舂稲仕女(つきしねのしにょ)という米をつくための女性が4人配属され、米1石を4人で精米していました。精米された米1石は2斗8升6合を米麹に、残り7斗1升4合を掛米にして、水を5斗加水し合計1斗7升8合5勺の酒が造られました。我々造り酒屋の人間からするとかなり贅沢な酒だなあという感想で、酒質によりますが現在の酒造りでは米1石から大体酒は22斗造ることができます。
天皇が即位後に初めて行う新嘗祭を「大嘗祭」と呼びますが、大嘗祭における白貴・黒貴の製造は昭和まで京都の上賀茂神社で行われていました。
平成天皇陛下が即位した際は東京で大嘗祭が行われ、白貴・黒貴の製造は京都で行われなかったようです。ちなみに現在の新嘗祭の白貴・黒貴は関西の蔵元が造っているようです。
次回は白貴・黒貴以外に造られていた酒にクローズアップしていきます。