2020.06.5
どーも、ぼんちゃんです!
私たちの蔵は県庁や市役所、裁判所などがある「官庁街」にほど近い場所に構えておりますが、酒造りは時代が進むにつれて官営、つまりは役所の管理の下で発展していきました。
今回はその始まりについてクローズアップしていきます。
古代日本の支配体制は農業が基盤にあると言って差し支えないでしょう。私たちは現在お金で納税していますが、昔はお米などの農産物で納税していた時代があったわけです。それをしっかり税収として毎年一定量確保したい支配層は、農業を営む小さな共同体を軍事力などにより服属させていきます。こうして大きくなっていったのが大和朝廷です。
朝廷の組織は6世紀末期頃から次第に整備されます。遣隋使や遣唐使が大陸の律令制を学びそれを基礎にし、大化改新で皇室を中心とした中央集権の支配制度を強固な物にしました。
そもそも律令とはどのようなものだったのでしょうか。
文字からなんとなくわかった方も多いと思いますが、現代では「法律」や「法令」といった漢字に表わされるように、社会を統治するための制度を律令制と呼びました。「律」は令ななどに違反した場合の刑法、「令」は行政法や税・労役等の規定を指します。
律で有名なのが「五刑八虐」。五刑は体刑(体を鞭などで痛めつける刑)の「笞」と「杖」、懲役刑の「徒」、島流しの「流」、死刑の「死」で構成される刑罰の種類を示したもの。八虐は謀反・謀大逆・謀叛・悪逆・不道・大不敬・不孝・不義からなる、国家への反逆や尊属殺人等の重罪の種類を示したものです。貴族は五刑においては相当額の実質的な賄賂を支払えば減刑されたみたいですが、八虐を犯せばそういった立場の人間でも減免されることはなかったようです。
令では官位相当制などの官制の規定がわかりやすい例でしょうか。当時は位階という階級制度があり、その位に応じた官職に任じられることを官位相当制と言います。正一位~従五位下までが貴族・上級官人、正六位上~少初位下までが下級官人とされていました。
もちろん上級官人の方が重要な官職に任じられ、変な話収入面もべらぼうに格差があったようです。従五位以上は「位田」と呼ばれる田地が与えられ、それ以下は与えられないのが大きな違いでしょう。
こうした過程を経て酒造りに関わる組織・育成も整備されていきます。
当時の酒造りの実態について示す史料として『令集解』と『延喜式』が挙げられます。『令集解』は養老令の注釈書です。養老令は大宝律令を改定した養老律令の行政法について示した部分ですが、養老律令自体は現存していないためその中身についてすべて把握することはできません。
しかし養老令についてはこの『令集解』、そして『令義解』と呼ばれるもう1つの注釈書によって、ほとんどの項目を確認することができます。『延喜式』は平安中期に編纂された律令の施工細則です。
『令集解』によると、当時の酒造りは「造酒司」と「酒司」の2つが担っていたようです。
造酒司は宮内省に属し、酒や現在の甘酒と同じ醴(こざけ)、酢などを醸していました。その組織を束ねる造酒正は、先述した下級官人の最高位である正六位の人物が任じられました。そして注目なのが酒部という役職が60人もいたこと。
『令集解』の酒部の記述に行觴(ぎょうしょう)という言葉があり、これは飲酒を意味する語句だと言われています。
なぜかと言うと「觴」は盃を意味する漢字なので、觴を行う=盃を行うことと直訳すると意味がわからないことになってしまいます。しかしそれを酒を飲む行為と捉えれば意味が通じるので、こういった解釈がされているのです。酒部は行觴に供することが役目とされているので、酒造りの他にも酒を提供する仕事があったと考えられます。現在で言う宴会場のコンパニオンみたいな仕事でしょうか。
つまり酒造司は酒造りから酒を飲んでもらうところまですべてを担っていたわけですね。すごい仕事量です。
しかもそれだけ従事していた人がいたということは、仕込数量もかなりのものだったのではないでしょうか。当時は腐造のリスクを顧みずに、春・秋も酒造りを行っていたようで、僕が参考文献に使用している『酒造りの歴史』の著者柚木学氏は、5000石くらい造っていたのではと推測しています。まあイマイチその根拠がわからないですし、今のような酒造設備がありませんから何とも言えない部分もありますが…。いずれにせよ朝廷用の大部分は酒造司が造っていたようです。
一方の酒司は後宮に属していてもちろん酒造りを行っていましたが、3人ほどしかいない小さな機関だったので、仕込量自体は少なかったことが推測されます。
前回の予告通り一気に高校の日本史の授業っぽい内容になりました(笑)
なかなか難しい内容なので、僕も間違いを書かないよう下調べをきっちり行っていますが、なにか間違いを見つけた方は優しく僕の耳元で囁いてくださると幸いです。音速で直します。
というわけで次回は『延喜式』の内容から入っていきます。今回ここまで含めるととんでもない文量になってしまうので区切りました。あまり長いと読者の皆様が疲れますからね…。僕がめんどくさくなったからではないですよ?読者の皆様が疲れますから。大事なので2回言いました。
末筆ながら最後まで駄文お読みいただきありがとうございました。